今のお蔭で昔に感謝
逆光に真っ向から対決して、負けた・・・写真としてこういうのはどうなのか、というより撮っていて楽しければいいというほうが自分の性にあっている。
今の時代、フィルムで撮るということはそういうことなんじゃないかとあくまで勝手に思っている。
ZENZA BRONICA S2 Zenzanon100mm f2.8
高精細で高解像度な写真を撮りたければフルサイズデジイチと何十万もするレンズならそれなりの写真は撮れるだろうけれど、いまだにブローニーや35mmフィルムにこわって撮ることは最高の自己満足かなって。
フィルム選びから撮影設定、そしてシャッターを切るまでの五感を刺激するプロセスが心地よいのだ。
そうやって撮った写真は上手かろうが失敗作だろうがプリントとしてもネガとしても記録として残る。それが大事。
今から30年近く前、就職して初めて買ったニコンF801Sではジャンジャカ撮ってあとで現像代に青くなったりしたし、失敗写真などお蔵入りで後で見返すことなどなかったし。そんな若い頃はもちろんフィルムカメラしかなかった時代だが、今のような感覚はなかったように思う。
今は失敗した写真でも見るのが好きだし愛着が湧くのは不思議である。
昔と今とで感じ方がこうも違うのは何故だろう?と。それはデジタルというもうひとつの記憶媒体が生まれたお蔭なんだと思う。昔のフィルムユーザーが一度は現代のデジタル技術の恩恵を受けその画質の素晴らしさと便利さを味わうものの、なぜかまた再びフィルム媒体へと回帰する。シャッターをきる1回1回が、そして撮った1枚1枚にその瞬間の思いがいっぱいに詰まっているのを実感できるってイイなぁと感じるんじゃないだろうか。
昔のお蔭で今があるとよく言うが、自分の中では今のお蔭で昔に感謝、というほうが適切だと思った。